2024年10月1日火曜日

むかしの みこころ より (故 A 氏 )

   私は幼時に母と死別して顔を知りません。昭和十八年入隊して中国に派遣されました。同二十年上海に抑留され、翌二十一年八月十四日、寄港した病院船で帰還することができました。その間、中国の人々の親切は身に沁み忘れえません。戦争の愚かさを痛感しました。
 復員後は労働運動に身を投じて警察からマークされる程でした。レッドパージの時に共産党離脱を決意しました。
娘が外国の航空会社に勤務した時「もし事故で私が死んだら、桃山の教会にお願いしてカトリックのお葬式にしてね」と言ってました。その一言で初めて教会を訪れました。訪問を重ねるうちに神父様のお話や、信者さんとの交わりに大きな心の安らぎを得ました。教会の庭のマリア像に母を偲び「おっかさん」と呼びたくなります。教会は私にとって憩いの場、信仰の場、回心の場です。
 一昨年、病院で痴呆症と診断され、困り果てた家内は、まず神父様におすがりしました。お御堂で共に祈ってくださったり、力づけてくださいました。また人々の計らいで第一日赤に入院、痴呆でなく硬膜下血腫であることがわかり、その日のうちに手術をうけることができました。そして十日間で退院することができました。それは先生や看護婦さん周囲の人にも驚かれる早さでした。私は皆さんの祈りに助けられ自分の身近に神を感じました。家では十字架と娘が大学卒業時に頂いたマリア像を祭っています。朝夕お祈りして、ざんげしています。
 私は洗礼を受けて本当に幸せです。神の現存と愛、お恵みを感謝し、皆さまとの交わりを深めて、み旨にかなった生活ができるよう努力したいと思います。