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「桃山教会の皆様の暖かさに感謝」
山田将太郎
桃山教会の皆様。いつも滞在させて頂く時には、暖かく迎え入れて下さり、ありがとうございます。とても嬉しく思っています。皆様のお祈りに支えられて、東京にある神学院に入学して3年半が経ちました。ちょうど折り返しに入り、残り3年半の勉学が後期から始まります。
私が神学院に入学したのは2021年のちょうどコロナ禍2年目の頃でした。京都教区はその頃、ミサを中止していた時でした。夏休みに帰省し桃山教会に滞在した時には、誰とも会えず寂しい中で、偶然お二人の方と会い、お話しできたのが救いでした。
また神学院に入学して、京都教区と東京教区の大きさの違いを知り、驚きました。東京教区は信徒の方々は京都教区の約10倍おられ、1つ1つの教会も大きく、1つの教会に沢山の信徒の方がおられました。コロナ禍で、神学生1年目の夏は、滞在した教会でほとんど人と出会えなかったことに反して、他教区の神学生は、沢山の人と出会う機会があり、神学生として必要とされる機会も多くあるように見え、その時私は単純に羨ましいと感じてしまいました。
けれど、その考えが間違えていたことを徐々に気づくようになりました。それは、1年目の冬季休暇から京都教区の各教会の皆様と関りが増えた頃からでした。特に桃山教会の皆様と関りが深くなってきてからでした。
桃山教会には、決して大勢の人がいるわけではありませんが、とても暖かな家族としての交わりが共同体のなかにあるように感じます。そして、ミサでの皆様の一体感や、深い祈りはとても私の心をうち、暖かな皆様とお知り合いになれることを嬉しく感じました。
桃山教会の皆様と関わる中で、当たり前ですが、教会の交わりの豊かさは、人数の多さではないことを改めて思いました。菅原神父様をはじめ桃山教会の皆様が普段、大切にされている「教会に来て、共にいることに喜びを感じていること」、「関わる一人一人に向き合い大切にすること」が教会共同体の喜びの本質であると思いました。そして、こうした皆様の姿勢や生き方が、とても豊かであり、私はイエス様にそのような人との関係性に招かれているのだと感じるようになりました。
神学生としての歩みの中で、自分の目の前にいる人を大切に愛することと、自分の置かれた場所と境遇に感謝し喜びを持って生きることは、表裏一体であることが分かり始めました。そして、目の前の人を愛し大切にすることは、全ての人とつながっていることであり、全ての人を愛していることであると実感を持って感じ始めました。なぜなら、愛は1つだからです。愛は、1人1人の人の中にバラバラに存在するのではなく、私達は1つのキリストの愛を分け与えられて生きているからです。
大切なのは、沢山の人に愛されることでも、沢山の人を愛することでなく、目の前の一人の人に対する愛の純粋さなのだと気づきました。このことを、桃山教会での家族的な交わりの中に入れて頂く中で、気づくことができました。
桃山教会には、入学当初から、1年の内に3回ある休暇の際は必ず、滞在させて頂いており、今では実家のように感じております。
いつも滞在の際は、暖かく迎え入れて下さり本当に嬉しく思っています。これからもよろしくお願いします。
2024年11月2日土曜日
桃山教会の皆さまの暖かさに感謝 (みこころ No 232 より)
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